<第1回から続く>
タンゴに決まるまでの過程は?
アニメーションでは、あまりタンゴが使われたことがないんですよね。実写などでは何かしら使われているんですが。
僕の中に、自分の心の琴線に触れた音楽ストックというようなものがいろいろとあるんです。例えばCMを見たり、町の中を歩いてたりした時、その曲を聴いてドキッとしたら、できるだけ調べてストックしているんです。それで「リベルタンゴ」という曲を知ったのは、10数年ぐらい前かな。ハリソン・フォードの映画に歌付きのものが流れていて、「この独特の雰囲気の曲は何だろう?」と調べていったら、ピアソラ(※アストル・ピアソラ)の「リベルタンゴ」という曲で、映画ではグレイス・ジョーンズが歌っていたんです。それで自分が何か作る時に、この言葉で表せない胸に来た何かを、どこかで使いたいと思っていましたが、「シムーン」の企画書を読ませていただいた時に「これならいける!!」と直感的に思ったんですよ。
イメージボードの中にシムーンが空を舞ってるものがあり、「このメカが戦闘を行う」と説明を受けたんですが、その時、シムーンのような螺旋的で丸いフォルムを持つものが、曲線的な優雅な動きで戦闘をする時にタンゴがかかったら、たぶんシムーンが踊っているように見えるんじゃないかと感じたんです。実際、観た方に「踊ってるように見える」と言われましたし。
あと、戦闘シーンをガンガン煽るような曲じゃなくて、美しく見えるような曲がかけられないかなと。本来ならば、映像として作る時に、戦闘シーンが美しくあるべきではないのかもしれないですけれども、今回の登場キャラクターは決して戦争がしたいわけではなく、巻き込まれていくわけで……。その辺りの心情の切なさに、美しさを加味したかったというか。
その踊っているようなイメージで、タンゴかワルツか……というところだったんですが、自分の中の音楽のストックにタンゴがあり、タンゴがかかれば作品性を決定できるというか、ほかとの差別化が図れるというか……。たぶん、新しい感覚が表現できるだろうと。そういう直感的なものがありました。
他のスタッフさんに説明した時も、一発で皆さんにわかってもらえたらしく「それはいいアイデアだ」と、すぐに決まりました。中心軸が決まれば、後は足りないものを足していけばいいわけで、「これをいくつかアレンジしたのもの」とか、「このメロディを生かしながら、もうちょっとハードなものにしよう」とか、すぐに納得してもらえましたね。
作品の方向性ということではもうひとつ、キャスティングがあると思いますが、音楽的な部分とキャスティングと、どちらが先に決まったのでしょうか?
確かオーディションが先でした。そのオーディションと平行する形で、音楽打ち合わせが進んでいきました。
それでは、キャスティングの方はどういう形でいこうと考えていたのですか?
まず結果として、蓋を開けてみたら監督と僕の方向性が非常に近かったですね。
最初にネヴィリルが決まらないと、全体像も決まらないだろうという感じがありました。僕はネヴィリルの設定を見た時、西村監督に「これはたぶん、高橋理恵子さんが一番合ってると思います」と、オーディションをやる前から言っていました。
で、実際にオーディションをやって、西村監督も「高橋理恵子さんがいい」と言っていたのですが、「この良さは何なんでしょうね?」と、監督に聞かれた時「高橋さんには余計なものがない」と答えたんです。声優さんは声でキャラクターを表現しようとしますが、そうすると肉付けをしてしまうんです。よりわかりやすいように、わかりやすいように……と。でも、高橋さんはその肉付けがいい意味でないんです。台詞が非常にストレートで無駄がない。ネヴィリルという役は、作ってできる役じゃないと思ったので、できるだけ自然な形、料理で言うと、素材そのものの味で勝負をしたかった。無駄な芝居はなくしたかったんです。それで僕がイメージしたのが高橋さんで、実際にその通りになりましたね。
ネヴィリルと対となるアーエルに関しても、できれば無駄なものがないようにしたいと思いました。出てきた言葉がそのまま役になっていくような形にしたかったので、アーエルは非常に難しいなと。監督も同じように考えていたらしく「今までにはない、違った主人公像を創りたい」とおっしゃっていました。大手のプロダクションに所属する女性声優の方のものは、声のサンプルCDを取り寄せて、ほぼ全部聴いたのですが、その中で新野美知さんは、特殊な声質をしていて今までにないものがあり、声を聴いた瞬間に気になりました。それで新野さんを候補に出したのですが、実際にオーディションをやってみて、僕は「新野さんでいける」と思いました。たぶん、新野さんが一番いいと。
サンプルだけだとわからないこともありますし、いろいろなシチュエーションをやってもらって対応できるかどうか試してみたら、役者としての感覚も優れいて「慣れていないところもあるけど大丈夫」という直感がありました。それで監督にも、新野さんと高橋(理恵子)さんのコンビを薦めたら、同意してくださいました。ほかのスタッフの方々の中には、ビックリしていた方もいらっしゃいましたけどね(笑)。
ある意味、他のキャストの方々が本流なんですよ。声優としても器用で、上手くて、才能もあって、ちゃんとしたことをやり続けてきた人達だから。その人達が本流としてカチッとあるからこそ、アーエルとネヴィリルは、あえてその本流からちょっと外れていても、周りの人が全部受け止めてくれるだろうと。だから、主軸に関しては本流から外したいなというのがありましたね。
その直感が外れたら大変なことになりますが、第1話のアフレコをやった時に、西村監督も「問題は何もないですね」と言ってくださったんですよ。アフレコ現場で「無理に芝居をしなくていいですよ、自然にやってください。男だからって男っぽい声を出そうとは思わないでください。台詞に書かれた声を、あなたの声でやってくれればいい」とお願いして、テストをした時に、十何人もいるキャラクターの声がぶつからなかったんですよ。まずは高橋理恵子さんと、アムリアを演じた喜多村英梨さんの2人の芝居に、周りのみんなが合わせたんです。「この路線が軸だったら、ここに合わせる芝居をしなくちゃいけない」と、できる達者な人達ばっかりで、みんな無理なく合いましたね……。それで自然に違和感なく流れていったから、監督が「問題は何もないですね。このままでいきましょう」と言ってくれたんです。細かな演技的指導はやらなくても、結構はまりましたね。
一番怖かったのは、男役の人達がどういう風に絡むかということでしたが、沢海陽子さん(ネヴィリルの父)の張りのある低い声がばっちりはまり、対極をなすアヌビトゥフ役の木内レイコさんもしっかり押さえてくれたので……。女性だけという音域が狭い中で、上手いこと誰も声質がぶつからずにできたなと。普通、女性だけで20キャラなんてなると、誰がしゃべっているのか、わからなくなりますから(笑)。直感でやった割には、すごくうまくはまったと思いますね。誰にも不満はありません。
では、演技指導では自然な芝居を心がけてもらう以外、特には……?
そうですね。自然に芝居をするという以前に、物語がどういう風に進んでいるかということのほうが、非常に理解しづらい部分がありますよね。言葉や世界観の問題と、それが何を意味するかというところまでは、さすがに役者さんたちはわからない。これからどうに進んでいくのかという先の展開とか。だから、「こういう芝居をしてください」というよりも、「この2人の関係はこういうもので、こういう台詞が出てきたのは、こういう設定があって、今後こういう展開があるから……」ということを、伝えるだけでしたね。
「シムーン」は基本的に台詞が少なく、ひとつひとつの台詞に深みがある。だから、台詞の流れだけを追うだけではなく、その背景を説明しないとわからない台詞が多い。役者さんはそういう状態ですから、シチュエーションを順序立てて説明してあげれば、あとはOKでしたね。
こういう芝居をしてくれということはあまり言わず、お互いの関係の説明に終始しましたね。細かい芝居を要求してしまうと、台詞が説明っぽくなってしまって、逆に台詞の微妙なニュアンスの部分を壊してしまうんです。
「シムーン」はわかりやすいドラマチックな物語ではなく、淡々とした言い回しの中に、人のドラマがあるということを、観てる人がどう見つけていくかというところにかかっているという感じがしました。僕はそこが好きでしたし、監督は「これはハリウッド映画ではなく、どちらかというとフランス映画だろうね」と言っていました。
その「シムーン」らしさをどの辺りから感じられました? 1話からですか?
1話はあれ以外にありえなかったというか……。12話ぐらいまでは作品の説明だったり、キャラクターの説明だったりするわけで。それが終結されているのが1話なので、ああするしか、やりようがなかったかなと。
僕は第1話、大好きなんですけど……。ある意味、びっくりされた方も多いでしょうね。優しく作品世界に入っていかれる導入ではなかったでしょうから。
もちろん、多くの人に受け入れてもらいたいという思いはありますし、作品として成功するにはDVDが売れたり、ビジネスとして成立しないとキツイですから、多くの視聴者をまず引き込めるかという考え方は正しい。でも、「シムーン」のようなものもあっていいという思いもあります。第1話をどうわかりやすいように説明しようと思っても、難しい気がしたんですよ。それだったら潔くしちゃった方がいいのかなとは思いましたね。……ひょっとしたら、アレで引いちゃった人もいたのかも知れませんけど……。
リアルタイムで観た方は、たぶん訳わからないことだらけのはずなんですよ。あれは普通、みんなわからないと思います。だけど、10話とか12話ぐらいまでいって、もう1回第1話を見返すと「なるほど!」と理解してもらえると思います。「だから、こういう作りになっているんだ」と。最初はわからなくても、各話を追っていく間にもう一度録画した1話を見返してくれたら、「スゲェ面白いよ!」ということになると思うんです。そうなってくれればしめたものだというところはありますけどね。
この作品は全話通して観て、また最初から観直すと、さらに違って見えたりもしますし、いま10代、20代の人が10年後に観たら、全然違った風に見えるかもしれませんね。そういう深みを持った作品だと思います。
……と言うか、これはやっぱりあれだ。オジサンが作った作品だと思いますよ(笑)。僕自身、この作品に出てくるそれぞれのキャラクターにすごく愛情があって、それぞれのキャラクターをもどかしく思いつつも、とても好きなんです……。この感覚って、自分の娘を想う感覚に近いのかなと。実際、僕には娘はいないんですけれども(苦笑)。……40代ぐらいの男性が、恋人というよりも娘を見ているもどかしさに近いのかな。「娘はこうあってほしい」という感覚なんですよ。その証拠に、憎らしいキャラクターがいないですよね。「あぁ、こういう傷つき方してたんだ」という風に思えてしまうんですよ、みんなが。これは、メインスタッフがみんなオジサンだということが、すごく大きいと思います。だから、年齢層の高い人が観てしまうんじゃないかなと。放っておけなくなってしまって、来週も観てしまうんじゃないかなと。そういう風になったらいいんじゃないかと、考えてたんですけれどもね(苦笑)。