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蔵出シムーン・シヴュラ 辻谷耕史(音響監督) 第1回「シムーン」でも最も特徴的といわれていた音楽の使い方。そこには音響監督・辻谷氏の試行錯誤と深い思い入れが隠されていた。シムーンの放送が終了に近づいた東京某所で、辻谷氏は語り始めた……。

音響演出の世界に入ったキッカケは、僕の場合、実は機材からなんですよ。

昔、立木(文彦)とか西村(朋紘)、玉川(紗己子)と一緒にユニット組んで、いろんなことをしいてたことがあって。……流通にはなかなか乗らないモノってありますよね。メーカーからお金が出るというものではないモノを、自分たちで創れるような環境が、デジタル機材が凄く安くなったことで出来るようになった。そんなにお金をかけなくても自分達でシナリオを書いたりすれば、作品が作れてCDぐらいなら焼けるし、流通はインターネットがある。

最初は簡易プライベートスタジオという発想で、まず機材を導入し、コンデンサーマイクとかも買って、自分の声を吹き込んだりとかしたものに音楽をのっけてみたり、編集してみたり……という所から始まりました。それから何となく噂が伝わって、「出来るんだったらやってみない?」という感じで、音響演出の仕事をやるようになったんです。なので、通常のやり方(音響演出の仕事)を教わったわけではないんです。

個人的な活動の中で、台詞や音楽をトータルでまとめるには……という部分を何となくやっていたら、仕事として「やってみないか?」と誘われたんですね? じゃあ、誰かに教わったわけでは……。

ないですね……ほぼ自己流。僕はアフレコ演出だけをやるより、むしろダビングをやりたいと言うか、トータルで作ることをやりたかった。やるんだったら全部やりたいというのが最初にあったんですが、仕事でやると最初はやっぱりわからないことだらけでしたね。

プライベートな作業なら、いくらでも時間をかけることができますが、レギュラーの仕事となると、決められた時間にアフレコを終えて、決められた時間にダビングを終えないといけない。そのためには早くジャッジをしなくてはならず、自分の思う感覚と他のスタッフのイメージのすりあわせを限られた時間の中でどうやっていくか、いろいろ試行錯誤の日々が続きましたね。

そうする中で、「あ、やっぱり自分の形ってこういうものなのかな」というのが見えてきたのが、この「シムーン」なんですよ。

その前に「Fate/stay night」の音響監督をやらせていただいたのですが、その時から、パソコンに映像を取り込んで、全部自分で音楽編集をするようにしました。そういう風にやる方って、あまりいないんじゃないかと思います。

事前にパソコンで映像と音楽とを合わせて下準備をしておいてから、ダビングの現場に臨んでらっしゃるんですか?

そうですね。台詞を聞きながら、映像をパソコンで同時に流し、音楽はどのタイミングで――というのをPro Tools(DAW:デジタル・オーディオ・ワークステーション)だと1000分の1秒単位で調整できますから。アニメ(映像)だと1フレーム(=30分の1秒)の単位なんですが、普通の人が大体認識できるのは5フレーム、6分の1秒くらいのズレかと思います。この編集を自分でやっていると、このズレがものすごく気持ち悪くなる。そこまで調整するとエライことになるんですよ! 当然、選曲はしなければいけないし、全体のバランスも考えないといけない。ストーリーの構成と、26本の作品だったら26本内での作り方というのがあるわけで……。各話単位で「これでいいや」という作り方は出来ない。やっぱり、シリーズを通した型みたいなものを考えながらやっていく作業なので……。

今自分がやってるスタイルだと「ものすごく大変なことをやってるな」という感覚があるんです。普通だったら、選曲はアフレコ台本やコンテを見て「ここからここまではこの曲」「ここからここまではこれ」と、ぱっとラインを引いて「後、よろしく」って、エンジニアが編集する場合が多いと思うんですが、僕の場合はそうではなくて、全部自分で音楽をシーンに合わせて事前に編集し、その編集したデータをエンジニアに渡しているんです。なおかつ、僕が良いと思った選曲が監督の好みと合わない場合のことも考えて、他のパターンも用意するんです。多い時は4~5パターン作ったりもします。それをやると、だいたい早くて6時間。かかる時は12時間以上の作業になるんです。……でも、それが自分のやり方になってしまったので……。多分これをやらないと、自分が納得しない気がしています。

ただ、僕がやる段階の作業って、台詞と音楽しか完成していないので、ダビングでSE(効果音)が入ると、音楽の入りなどとぶつかってしまうこともあり、その微調整はダビングでやります。

僕のこのやり方だと、ある意味、台詞と音楽で完結してるところがあるんです。だから、音楽の使い方が、他の作品に比べると特徴的ではないかと思いますね。僕が以前携わった作品のスタッフの方々に、「辻谷さんが音響監督をやった作品は、辻谷さんの顔が見える」という風に言われるんです。それが良いのか悪いのか、自分では判断つかないこともあるんですが……。

僕がやっている形って、どこかミュージッククリップに近いのかもしれません。本来ならばBGMという名の通りの、背景である音楽を立たせてしまうような。それは自分でもわかっていて、今回、西村(純二)監督に事前に「僕はかなり音楽の方に寄りますから、“ここはもっと詰めてください”とか、“ここには音楽は要らない”というのがあったら言ってください。僕は放っておくと、どんどんシーンをまたいで音楽をのせてしまいますから」というようなことを話したことがあります。

でも、「シムーン」は特殊な世界観でもあったので、「こういうやり方が独特なスタイルとして成立するんじゃないか?」というのは、西村監督も感じていたみたいですね。

ただ、自分は音響監督として万能ではないと思っています。自分に合っている作品じゃないと、難しいんじゃないかなと。作品は、構成要素として映像と音があり、映像を除くと芝居(セリフ)と音楽と効果音になります。そうすると、どこかで音楽をバックグラウンドにしたくないという思いがあるんです。台詞と同じぐらい主張してほしいし、場合によっては、「台詞よりも音楽の方が立ってないか?」という部分があっても構わないと思ってるんです。それが良いのかどうかというのは何とも言いがたいのですが、僕はそういう風にしたいところがありますね。

いわゆる台詞、ダイアローグというのは記号ですから、一度、脳で判断しなくちゃいけない。そうすると、何分の一秒かわからないですが、考えなければ台詞は理解できない。だけど、音楽って違いますよね。音楽には言葉がないから、聞いた瞬間に何かを感じ取ってしまう。だから音楽って怖いんですよね。台詞を理解する前に、音楽の方が感覚として先に身体に入ってしまいますから。その感覚という物を武器にしないといけないと思っているんです。

何かの本で読んだんですが、人間は聴覚が一番優れているらしいんですよね。映像だけを見て理解するよりは、音声だけを聴いて理解するほうが、より理解できると僕は思っているんです。だからCDドラマはありえるんですが、音のない映像だけのドラマというのは成立させにくいのではないか……と。そして、その音の中で一番主張の強いものは何かと考えた場合、音楽が聞いている人に一番ストレートに入ってくるはずなんですよね。言葉と違って理解をしようとしないから。そこを何とかできないものかなというのが、自分の中にあるんです。

なるほど。その作品の方向を決める音楽として、今回の「シムーン」では“タンゴ”があると以前おっしゃっておられましたが……。

最終回のラストが、それで終わりましたからねぇ……。

あのタンゴが、作品の方向をある意味決めたという事は間違いないとは思います。音楽打ち合わせの時にその発想がなかったら、全然違った作品になった可能性がありますね。

第2回に続く>
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