simoun
辻谷耕史(音響監督)  [ 第1回 ]  [ 第2回 ]  [ 第3回 ]  [ 第4回 ]
オーディオコメンタリー番外編  [ 第1回 ]  [ 第2回 ]  [ 第3回 ]  [ 第4回 ]
演出&制作編  [ 第1回 ]  [ 第2回 ]  [ 第3回 ]  [ 第4回 ]
野崎圭一(音楽プロデューサー)  [ 第1回 ]  [ 第2回 ]  [ 第3回 ]  
岡崎純子(脚本家・小説家)  [ 第1回 ]  [ 第2回 ]  [ 第3回 ]  [ 第4回 ]
監督&ライター編  [ 第1回 ]  [ 第2回 ]  [ 第3回 ]  [ 第4回 ]

 

蔵出シムーン・シヴュラ 辻谷耕史(音響監督) 第4回第3回から続く>

シリーズを振り返って辻谷さんが印象的だったエピソードなどを教えてください。

第1話は、これまでお話したとおりですね。

第2話は、泉に行くシーンがポイントだと思いましたね。後でまたこのシーンが絶対出ると思ったので、そこをどの曲でいくか、オープニングのピアノバージョンだなと。同じ曲を25話でみんなが手を繋いで歩くシーンで使っています。泉に入るシーンはこの曲しかないなと思っていました。あと、この回はエリーが泣き崩れますが、このシーンも大きなポイントですね。監督に女性スタッフから質問があったらしく、「自分で選んで泉に行ったのに、何故あそこで泣くのですか?」と。男の発想だと、泣くというが良くわかるんですよ。大事なものを失ったんだという感覚なんですよね。その喪失感が女性にはいまひとつ理解できないらしくて……。これって面白いなぁ、とちょっと思いました。男女の違いを感じました。

第4話は、アーエルが敵兵の指を切断するシチュエーションですね。これがやっぱり、アーエルの位置付けをハッキリさせましたね。かわいいキャラクターが出てくるアニメーションでは有り得ないことをやったな、という部分が……。あんなことをやってしまう強さと潔さと、そこから醸し出される儚さが出ていますよね。4話でこの作品の全体像というか、作品性が出来上がったと思います。

第5話は、リモネの話ですね。この時点では、まだリモネが最終的にドミヌーラと一緒に旅立つということは決まってなかったんじゃないかな……? 監督に確認してみないとホントのところはわからないですけど。最終的にそうなったのは、リモネ役を能登麻美子さんが演じたということが大きいと思いますね。あとはこの時、水樹奈々さんがモリナスとは別に女性教官役を演じたと思うんですけど、少ない台詞でしたが、これが良かったです。モリナスの時とは違った、水樹さんが持っている凛々しさが出ていてすごいなと思いました。別に兼ね役でやってもらった宮主が後半で大きな役を占めるようになったのは、水樹さんが演じていたからではないかと。

第6話は……これはもう「ダダダ」しかないですよね! 小清水亜美さんが「ダダダダダダ」を言えなかったので、「ダダダ、ダダダ」と2つに「分けて言ってみたら」と言ったのかな。もうひとつは、パライエッタの切ない部分が出た話ですよね。凛々しさと乙女心が混じった回でした。プラス、カイムをやった細越みちこさんが、今までにない面白さを出してくれて、いろんな意味でこの回は面白かったですね。

第7話はマミーナとユン。後から出てきたのに全く違和感がなくて、森永理科さんと名塚佳織さんのはまりかたはすごくいいですよ。ユンは回を増すごとにどんどん印象が強くなるようなキャラクターなんですけど、マミーナは一発勝負みたいなところがあるキャラクターで、その一発勝負をよく森永さんは1回で理解して演じてくれました。普通、キャラクターをつかむのって2~3回はかけないとできないことが多いんですけど。一発で掴んだ森永さんはすごいなと。ユンも1回目から上手にキャラクターをつかんでくれたし、この2人は役の核心を本能的につかむのが上手な気がします。

第8話が前半のクライマックスでしょう。爆弾のシーンでアーエルとネヴィリルの意思の疎通が見える話で、アーエルがネヴィリルの名前を呼んだ瞬間にネヴィリルはその意図を察知するという、この2人の関係がうまく出せるかどうかがとても重要でしたね。「名前を強く呼びかけるのではなく、そこに2人の意志の疎通が表現できるかがポイントなんです」と演じる2人に言って、新野さんと高橋さんのコンビネーションがパシッとはまったのが良かったですね。ここはしっかりと見てほしいです。2人の最初のキーポイントですから。

第9話は、「それでも私は、シムーン・シヴュラなんですか?」「それでもあなたはシムーン・シヴュラなのです」。ここ泣けるシーンですよね。紛争に巻き込まれた少女たちの悲しみと心の揺れ動きを、高橋さんがあの長台詞で、本当に見事に表現して、かつ、それをオナシア役の玉川紗己子さんが受け止めたというところが良かったです。玉川さんはオナシアの選択しない選択、それを自ら選び苦しみに耐えてきた。その重みを受け止めて演じられる器を持っています。すごいですね。

第10話は……ネズミですね(笑)。それと、ロードレアモンが三つ編みを切るシーンが見所ですね。その流れの中に音楽が見事にはまったんですよ。映像に音楽をのせていく時に、キレイにはまるのって嬉しいですよね。このシーンはそんなに編集で苦労をしなくてもピッタリまとまったんです。映像と音楽がキレイにかみ合った、いい回でした。

第11話は、フロエ役の新人、相澤みちるさんがメインの回なので、「大丈夫かな?」とちょっと心配しました。しかし、杞憂でしたね。まだ16歳で養成所に通い始めたばっかりの相澤さんが、アフレコが始まってこの回の収録までの2ヶ月半くらいの間に、養成所で学ぶこと以上のことを学んだという感じがしました。現場の期待に相澤さんは見事に応えてくれました。あと、マスティフ役を誰に演じてもらうかすごく悩んみました。そこで「一番想像つかないのは誰だろう?」と考えたら高橋美佳子さんでした(笑)。彼女が男性キャラを演じたらどうなるか? イメージできなかったんです。他の人は何となく芝居(声)のイメージが想像できた。そこで敢えて高橋美佳子さんにお願いすることにしました。高橋さんの男性キャラはすごく新鮮でよかったです。

第12話は……切ない話ですね。「姉さん、私が抱き締めてあげるから……」という回です。アルティもすごく可哀想なんだけど、カイムの飛び込めない心の壁っていうのが、なにか切ないですね。もし自分が2人のうちどちらのタイプかといえば、多分カイムの方だと思うんです。だからカイムの不器用さというのが、個人的にはよく分る気がして……困った。

第14話は、ワポーリフとモリナスの話ですよね。ワポーリフ役の水沢史絵さんが「モリナスに夜ばいをかけにいったのに、何で途中で止めて逃げていったのかわからない」と言ったのが、印象的でした。「男ってそうなんだよ」としか言い様がなかったんですが……(苦笑)。男ってある意味、臆病ですよね。

第15話は、見た時に「何てネヴィリルって勝手なんだろう」と思ったんです。「ずるいよー、ネヴィリル」って(笑)。これって、男の立場としてはつらいですよね。こんなに苦しいことはない。ネヴィリルって、男から見たひとつの女性像なのかもしれない。でも、この回は岡田磨里さんが脚本を書いてるんですよね……。 パライエッタって“恋人にはなれない友達止まりの男”ですよね。でも、ネヴィリルの行動を酷いと思いながら、受け入れてしまえるのは、多分、高橋理恵子さんが演じているからだと思います。いえ、彼女がそうという意味ではなく(笑)。

第16話は、“翠玉のリ・マージョン”で決まりですね。ドミヌーラはとても弱くて繊細なところがあるのに対して、リモネは子どもなのにすごい強さを持ってるという。その2人がすごく生きた回ですよね。あと、5話のところでも言いましたが、リモネがここに至るのは、最初の頃は決まってなかったのではないかと思います。この話は中盤の分岐点ですよね。

第17話から、後半に向けて物語が動いていきます。この世界の謎の解明といった部分に。

第18話は、遺跡の謎が提示されました。この2話は作品全体の意味で重要かなと。

第19話は、マミーナが死ぬ回ですね。この回のアフレコの翌週に、マミーナ追悼会をやりましたね。その時、森永さんに「どっちの曲で死にたい?」って、パソコンを起動させて映像を流しながら候補の音楽を聴いてもらったんです。最初にタンゴを聞いてもらったら、「うわあ、鳥肌が立つ!」と言っていたんですが、次にワルツを聴かせたら、10秒ぐらいで「こっち!」と彼女が決めました。理由を訊いたら、「だって、私のためにオーケストラが演奏してくれるんだもん!」と(笑)。そこには西村監督もいて、「本人がこれで死にたいというならこれにしましょう」と決まったんです。だから、マミーナの死ぬシーンでワルツを選曲したのは、森永さんなんです。西村監督には、「多分この先、声優に『どの曲で死にたい?』と聴かせる音響監督はいないだろう」と笑われました。

第20話は、ユンが「マミーナの魂はここにあります」と言う回ですよね。ここからユンが存在感を強めていきますね。他のキャラクターとは違う立ち位置が見えてくるという。「シムーン」のキャラクターの中で自分ならどういう選択をするか考えたとき、多分ユンと同じ選択をするんじゃないか思うところがあるんです。もしかしたら性格が近いのかもと。あくまで性格ですよ(笑)。

第22話は、アーエルの心情の変化を見てもらえたら……そこが印象的でした。

第23話は、オナシアですね。オナシアが超然としたキャラクターだと思われていたのが、実は一番脆かったという。何を持って強い、弱いと判断するかの問題はありますけど。この話は、シリーズ全体とてしてもポイントの回のひとつになっていると思います。オナシアを受け入れたユン。そんなユンにやはり共感してしまうなぁ。

第24話は、この時点で少なくともパライエッタは女になることを決断してますよね。そこが個人的なポイントかな。で、実は他の役も言葉にはしないけど既に性別を選択してたと思うんです。アフレコの時、テストしたら何となくみんなの台詞に違和感を覚えたんですよ。台詞がうまく噛み合わない。何故かと思ったら、役柄それぞれが既に性別を選択してるのに役者はそれを知らされてなかった。そこで次回性別が明らかになるんですが、この回に役者さんにどちらを選ぶかを知らせたんです。そしてそれを踏まえて演じてほしいとお願いしました。象徴的だったのがパライエッタですね。彼女が大人への階段を一歩上がったという感じがしました。しんどい役でしたよねぇ……。

第25話のポイントは、アーエルとネヴィリルが違う世界へ行くということよりも、他のみんなが自分の性を告げるところですね。そちらの方が自分としては印象的でした。フロエとヴューラが男になって、あとはみんな女。パライエッタがダンスを踊りながらネヴィリルと語るシーンで「私は女」と言ったところ、あのパライエッタが良かったですね。この作品の全てを象徴しているような感じがしました。ある意味、このシーンが「シムーン」の結論でしょう。結論を出したのは、主人公の2人ではなくて、全ての少女の気持ちとか、ありようとかというものを代表したパライエッタなのではないかと。ネヴィリルとの決別という選択――それが大人になるための選択というかな。「大人になるって寂しいことなのか?」と24話でフロエが言っていましたが、まぁ、言ってしまえばこれがテーマですからね。

第26話はエピローグですね。現在と過去(違う世界)のシーンが交錯して、一番最後にみんなの顔の落書きが見えるところは、正にサブタイトル通り「彼女達の肖像」。「あの頃、君は……」という感じが、なんていうか心を惑わすんですよ(笑)。あのラストのタンゴがかかるシーンは、ホント詩的で良かったですね。

「シムーン」は少年マンガ誌に載るような男の子向けの作品じゃなく、少女マンガですよね。少年マンガで描かれる“悲しみ”って、リアルでストレートだけど、少女マンガの“悲しみ”の中には“切なさ”がある。これがキーポイントではないかと思うんです。その“切なさ”って、“女々しさ”とも言えるかもしれないですね。“女々しい”って“女”と書きますけど男に対して使われる言葉で、“女々しさ”を持っているのは男なんですよ。だから少女マンガの本質って、男の方が理解できるのかもと思うところもあります。といって、僕は少女マンガを読んだことないんですけど(笑)。まぁ「シムーン」は男が描いた少女マンガと言えるのかな?

それで、最初の方にも言いましたけど、僕には作れないかもしれないと思う作品というのは、少年マンガ的な要素が強いものなんです。多分、僕の中にはすごく女々しい部分が元々あって、作品を創るとしたら少女マンガ的なものの方が僕には向いてる気がします。

個人的な話になってしまいますが、僕は女性に対しての認識をどこかで間違っている。本来、女性というのはすごく強い。腕力とかは別ですが、生物学的に見ても精神的に見ても、男より断然強いと思うんです。だけど自分が子どもの頃、身近にいた女性というと母親なんですが、ウチの母親って身体があまり強くなかったんです。病弱だったから短い時で年に2~3ヶ月、長いときは半年ほど寝込んでいたりしました。それを見ていたから、女の人は弱いもの、と認識しているところがあるんです。多分、その辺の体験がなんらかの影響を及ぼしていて、自分が役者をやってても繊細な役柄が多いのは、そうしたところがあるからじゃないかと思っています。それが音響演出をする側に回ったときでも、すごく反映されているような気がします。

そんな自分にとって、この作品は巡り合うべくして巡り合った作品なのかもしれませんね。

だけど、本来女性って強いもので、特に女優さんなんてすごく強いですからね(笑)。だから自分のイメージでやっていくと、「女性はそんな反応しませんよ」なんて言われちゃうのかも知れません(苦笑)。でも、こういう繊細な、揺れ動きのある作品は好きですね。ただ、やっていて何か自分に突きつけられているような、えぐられているような感じはありましたけど(笑)。

それでは最後に、この「シムーン」を振り返って。

最近のアニメーション作品はパッケージ化されて、10年後、20年後も観る事ができますよね。そこで自分は40過ぎた頃から、「10年後、20年後になっても色あせないものが作りたい」という意識を持つようになったんです。そういう意味で、この作品は10年、20年経っても多分色あせないと思います。今後もアニメーションはどんどんどんどん進化していくでしょうけど、進化していった時に、改めて「シムーン」の作品としての価値が上がるんのではないかという気がします。数年後に「シムーン」がまだ話題に上がっているかどうかを、ちょっと知りたいなぁと思っています。そんな作品に仕上がったという気がしていて、10年、20年経って、次の世代が観た時も僕は胸を張れますね。ちゃんとしたものを作ったよ、という……。

あと、そんな風に10年、20年後の人達がこの作品を見て、スタッフロールが流れて僕の名前を観た時に「“辻谷耕史”って役者だったんじゃないの? 何故、音響監督に?」と言われたら面白いな、と。「この人ってこういう才能もあったんだ」とか思ってもらえたら嬉しいですね(笑)。

辻谷さんの回は今回で終了です。
次回からは、監督:西村純二、キャラクターデザイン・総作画監督:西田亜沙子、制作プロデューサー:松田桂一でお送りします!
シムーン